あれから10年、東日本大震災を忘れないように、という思いをこめて

当時の私の医療支援活動記事、写真・動画を再掲

 

2011年3月11日14時46分、外来診察中に地震が発生しました。


今回はちょっと大きかったなという感じでありましたが、帰宅後のニュースでM9.0,最大震度7.0、衝撃的な津波の映像をみて事の重大さに気づかされました。


大阪市立大学病院でも救命救急センターの先生がすぐに被災地へ向かわれ、その後迅速に当院から被災地支援のための派遣が決定し、私も参加させてもらうことになりました。


当院からは、普段の仕事に支障をきたさないようにとの配慮で、各グループが短い期間で交代することになっていました。


我々のメンバーは第一次救護斑としてDMAT(急性期の災害派遣医療チーム)の活動を引き継ぎ、岩手県釜石市栗林小学校に宿泊しながら、大槌町の安渡小学校を拠点に3月20日~24日まで活動を行いました。


町や村はというとすでに破壊され、船が民家の上にのし上がり、辺りは爆弾が投下されたかのように壊滅していました。


そんな中、我々は安渡小学校の一室を借りて医務室とし、当大学から持ち込んだ薬を使っての外来業務を始めました。


多くは生活習慣病の継続加療で、持ち込んだ薬でなんとか対応しましたが、新たな症状を訴える方もおられ、その際は検査と言える検査ができないことから、問診と身体所見から判断し投薬を行いました。


また安渡小学校内や付近で避難生活されているかたの往診も行い、重症患者に関しては付近の病院に搬送してもらう状態でした。


夜は大阪市立総合医療センターのみなさんとミーティングをし、その日の報告と翌日の作戦を練っていました。


被災者の方からは、
「津波が後ろから襲ってきたので安渡小学校まで坂を上ってきたが、上りついて後ろを振り返ったらみんな津波に飲み込まれてしまっていた」
「津波の中で必死に棒につかまり耐えたが、今もそのとき飲み込んだ海水のせいで咳がでる」
など話を聞くたびにぞっとしました。


そんな暗い雰囲気の中で、無邪気な子供達の笑顔は、色んな人を元気づけていたように思えました。


今回の支援活動では、少しでも被災された方々の助けになればと思って行っていましたが、突然起こった大震災と、何度も起こる余震や凍えるような冬の寒さに耐え、友人・家族と離ればなれになっても一生懸命前向きに生活していく被災者の方たちから、教わることや考えさせられることが沢山ありました。


被災で亡くなられた方のご冥福を祈るとともに、少しでも早く復興し、生活が元に戻ることを願うばかりです。